2025年今年も何とか4泊5日で春の旅に行って来た。

 一月中旬に今年の春の旅を計画した。、数年前にツアーを申し込んだが、コロナ渦で断念した対馬・壱岐に行こうと決めた。 4月14日発で先ずホテルを4件予約したが、その晩に14日はもしかしたら安協の街頭指導の2巡目が来るかもしれないとき気付き、全てキャンセル、改めて、4月15日〜19日の日程でホテルを予約した。壱岐へ渡るジェットフオイルは乗船日の一カ月前にならないと予約が出来ないので、九州郵船の会員登録のみしておいた。問題はここからである。今迄航空券は旅行会社にお任せだったが、恐らく今回が人生で最後の長期旅になるだろうと思い、齢80直前にして一念発起し  ネットで自分で取ることに挑戦?した。若い人から見れば日常なことでも、私にすれば未知の部分で大いなる挑戦なのだ。(^^;;早速ネットで名古屋〜対馬航空券で入れると、eDREAMSという会社でヒットしたので即、予約した。返信で「6桁の航空会社予約確認番号」が届いた。これで予約完了かと思いきや、又メールで「2日以内」に予約番号を送ります・・と返信が、その後カード会社からメールで、この金額支払いは本人が承諾したものかとの確認が有ったので、OKすると翌日にeDREAMSから11桁の予約番号が届き、予約が確定しましたと。これで完了!!しかし未だ心配、そこでこの会社を調べると、スペインの会社で結構酷評されていたが、中には幾回も利用しているが全く問題ない皆さんの理解不足なのでは?といった投稿も有り少し安心だ。そこで今度はANAのサイトに入って見ると国内線ではヒットせず、国際線の乗り継ぎ扱いで予約がありこれでバッチリのはずだった。が、出発3日前にeDREAMSからメールが来て、「早くチェックイン」して下さい、8〜24時間前に搭乗券をメールしますと有る。。スマホでの搭乗券扱いは知っているが、慣れないので、空港カウンターで直接搭乗券を貰うことにして、前記メールは無視した。このメールで又不安になり調べると「eチケット引き換え券控え」のコピーが必要とのこと。何のこっちゃ?・・・で改めて又ANAのサイトに入るとページの右上に有りました、「eチケット引換券控え」はこちら欄が、早速これをコピーして一安心だった。こんなにヒヤヒヤドキドキ感は久しぶり。旅行に行く前に疲れた。3月15日に対馬=壱岐往復のジェットフオイルを予約完了していたので準備完了、ここ迄が1月から出発までのお話。そして4月15日妻に、もしかしたらセントリアからユターンになるやもしれないと言いながら、セントリアのANAカウンターに、無事搭乗することがすることが出来た。(^^)(^^) 
      

  4月15日  伊那〜対馬
 
 

無事チェックインできたが、保安所で引っ掛かった!バックを開けられるた。どうやら懐中電灯の電池がリチューム電池と疑ったようだが、問題なし。福岡まではあの黒い機体に乗るのだ。

 

この辺は岡山当たりかな?

 

50年ぶりのプロペラ機で対馬に到着した。私はプロペラ機のプロペラの音と、ガタガタ感がすきなのである、チョット変わっているかも。

 

対馬、歓迎の到着客入口。

 

レンターカー手続きをすませ、本日の観光場所、お船江!!。対馬藩の船置き場だ。生憎干潮でチョット映像的にはもの足りない。

 

同、奥から海に向かって。(海水に使っている絵が欲しかったので、16日も寄って見たが又、干潮だった。)

 16日  対馬  
 

和多都美神社。ここは昨年7月に韓国人の吸い殻ポイ捨て、痰吐き、立小便など目に余ると云う事で「韓国人お断りの看板を」を立てた所、今度はタバコの吸い殻をまとめて捨てると云った行為が続いたため、現在は団体客もお断りにしている。駐車場入口に車止があり、そこにB4紙でここを動かして駐車して下さいの張り紙が。私達に続いて2台来たが、何れも日本人だった。大型バスは数台見たが通過していった。

 

同、ここは鳥居が海に続いていて絵になる。観光客を乗せたフレッシャーボートが来て結構長い間鳥居の先端に佇み客が代わる代わる写真を撮っていた。韓国人かな?

 

万関橋、どうということもない赤い鉄の橋・だが、ここは明治に日露戦争を想定して細い水路を拡幅掘削、大型艦船が通行出来るようにし、架けられた橋なのだ。

 

姫神山砲台。他人のブログでは、アピタの城的の様な雰囲気を感じる、ともあった。対馬だけでも明治から太平洋戦争前までに31砲台有ったらしい。壱岐にも幾つか有ったようだ。

 

同。

 

同。

 

同。

 

同。

 

同。大砲台座。

 

同、こちらには二門有ったのだろう。

 

上見坂公園。この下にも堡塁があった。

 

同。展望台より。

 

同。

 

矢立古墳群。予算が無いのか登坂も手入れが・・・。

同。

 

蒙古襲来の地!!学校では博多沿岸への襲来は学んだが、対馬、壱岐へのことは余り習わなかった気がするのだが・・。

 

ここがその地、小茂田神社。実際の戦はもう2km程内陸の現在小学校がある当たりとの説もあるようだ。

 

その時33,000人の元軍にたったの80人を率いて立ち向かい、全員戦士した時の宗資国の像。昔の人は凄い!!

 

神社裏の海岸。

 

同。

 

本殿。

 

元寇700年の記念碑。今は平和ボケで想像出来ないが、対馬・壱岐の住民は殆ど殺されたり、連れ去られたり女性は船に手を釘で打たれて、船の楯にされたという話もあるのだ。

 

石屋根の建物(倉庫小屋)昔は住民は瓦は乗せることは許され無かったので、周りにある平らな石で拭いたとのこと。

 

同。こちらは今も使われていて綺麗だ。

 豆酸先展望台に向かう途中の景色。  

前方の山に近づいてみると、高い所にゴミの山が!!先程見えた家よりもはるかに高い。波がこの高さまで来たのだろう、その時あの家は大丈夫立ったのか?怖っ!!

 

豆酸先展望台より。

 

同。展望台の木柵はご覧の通り、他の箇所でも、同様の物や、トイレの手洗い水が出なかったり、行きたかった砲台は昨年の大雨で道路が崩落未だに修理の目途すら立っていないようだ。対馬の財政も大分厳しいのかも?。

 

同。

 

同。

 

鮎戻し公園。

 

下は一枚の岩盤が続いている

 

橋より上流。

 

下流。

 

橋の下流から。

 

更に下流から。

 4月17日 壱岐  
 

早朝6:45分発のジェットフオイルで今日は壱岐へ。15日夜、夕食を食べに出たが左ふくらはぎが硬直したような状態で20mも続けて歩けない17日はホテルから港迄徒歩15分掛かるがタクシーは7:00からでないと動かないとの事。ホテルに帰る際、タクシー会社があったので、18日の港から万松院と厳原から空港の3回で何とか頼むと、ホテルに6:10分に来てくれる事を了承してくれた、。「頼んでみるものだ」。16日の夜も足は同じ状態だったからラッキーだった。

 

壱岐が見えた!!

 

唐人神社。ここは有るブログで男根と赤い布で巻いた柱が有るとのこと。スケベな私、壱岐の最初の観光場所にした。港から車で5分程の所だが、3人に尋ねたが知らないとの返事!!何とかスマホ起動で20分以上かけてたどり着いた、小さい事は承知していたが、屋敷内か何かの祠で、目的の物は理由は分からないが、撤去されていた。残念!!夕食の折、この話を若い仲居に話すと、それよりも「賽神社」が良かったのにと言うので即スマホでリサーチすると有りました、大きな奴から、裸体女性が左手に握って手を上げた奴やら・・・。ガイドブックには載っていないので、「壱岐賽神社」で検索してみて!!

 

男岳神社。壱岐は高い山はないが丘だらけなので、ここも結構傾斜のある道を上って

きた。

 本殿。  

展望台から。

 

同。

 

同。

 

同。

 

先程の道を戻ってくると、石サル群 標識があり、見ざる、聞かざる、言わざるの石猿が。

 

杖を突きつき長〜い階段を上がった。妻は途中リタイヤだ。

 

漸く石猿が見えた。

 

結構古そうに見えるし、仕草も様々だ。

 

アッ・・、先程遠目に見た建物では、そう、男岳神社の裏側の建物だ。足が痛いのに参った、間抜けだよねー(^^;;

 

あれー、ひときわ大きいこんなのを見付けた。これは新しい、ご立派で何とも生々しい。

 

勝本城址。小さな城跡である。

 

同。

 

同。

 

同。海側の景色。

 

同。何と、御柱があった。看板には諏訪市と姉妹都市で、御柱で建てたものをこちらに移築したとあった。壱岐で御柱を見るとは思わなかった。

 

猿岩の碑。30台以上駐車出来る所に、私の車1台のみ貸し切り。観光シーズンなのに寂しい光景である。

 

猿岩。瞼と鼻、口、そして適度な草が猿らしく見える。

 

猿岩の直ぐ脇にある、黒崎砲台跡。この島にもいくつか砲台跡がある。

 

同。入口。

 

砲台の構造図看板。

 

同。中に入ってみた。

 

同。暗くてよく見えないが、この奥に大砲が設置されていた。

 

鬼の足跡。

 

同。やはり観光客はおらず、この景色も貸し切り状態だった。

 

同。この日は風が強く、海は兎がとんでいる。

 

同。

 

丘の辻展望台より。

 

同。

 

原の辻一支国王都復元公園。

 

同。

 

同。ここは従者の宿泊所と説明書きがあった。この後、一支国博物館へ行ったが、写真はない。

 

はらほげ地蔵。満潮時は海中に祀られている為、腹部を波にえぐられて居るので、こう呼ぶのだと説明書きがあった。

 

近くにあった、金毘羅神社。満潮時には手前の鳥居から先は海になってしまうそうだ。

 

神社から左の景色。

 

神社から青島を。

 

神社から右の景色。橋は青島大橋。

 

青島左側を。

 

今夜の宿に到着だ。宿の窓から芦辺港を。

 

右側を、老婆(私も老爺なのだが)が一人、先程迄花に水をやっていた。

 4月18日壱岐〜対馬〜福岡〜中部セントリア。  
 

観光最終日。今日は11:45のジェットフオイルで壱岐を発ち、12半過ぎて再び船上から見る対馬だ。

 

厳原港に接岸前、空模様が今にも降り出しそうな気配、あと半日持ってくれれば・・・

 

頼んだ通り、港にタクシーが待っていてくれ、そのまま先ずは万松院へ。

 

この階段の上に領主 宗家の墓地がある。私の足ではとても無理!!下から眺めただけだ。

 

同。

 

同。

 

金石城址石垣。石屋根に使われていた薄い平らな石が結構使われている。

 

同。〇×門の後。忘れた。

 

朝鮮通信使の碑。この横に通信使館があったので寄ってきた。新しいマンションの一階にある。

 

金石城。左側の木柵も裏側が崩れ落ちていた。ここから見ると分からないが、裏側から見ると完全に崩れ落ちている。簡単な補修が出来るだろうが??もしかして国の史跡指定のせいで制約が有り勝手に治せないのかもしれない。そうだとしたら馬鹿げた話しだ。この後対馬博物館も寄ってきた。

 

全ての観光が終わり、17時20分のフライトで帰るのだが、改めて、対馬・壱岐の苦難の歴史を感じた今回の旅で有った。出来ればに、多くの日本人に対馬に行って肌で感じ、金を使ってきてほしいと思う次第である。

 

愈々お迎えのプロペラ機が来た。

 

雲間から対馬が少しだけ見えた。

 

福岡上空、車輪が出て一安心だが、もしかしたら又、81番から6番ゲートまで急ぎ歩くかと思ったら、気が重い。着陸時中ほどで、降りて乗り継ぎ6番ゲートに進んだが、足の攣りと痛みで休んでは歩き休んでは歩く状態だった為、最後尾から100mも離された。何とか、搭乗時時間に間に合った、思ったら、搭乗アナウンスではなく、「機種変の為30分送れます」とガックリ。セントリアでもう一泊して19日の昼に無事帰宅した。